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ココ・シャネル

美しさはあなたがあなたらしくあることを決めた瞬間、始まる。 


女性をコルセットから解放し、機能性と実用性を兼ね備えた斬新なファッションを提供し続けた20世紀を代表するデザイナー、ココ・シャネル。本名ガブリエル・ボヌール・シャネルは、1883年、フランスのオーベルニュ地方で生まれます。しかし、幼少期に母親が他界し、孤児院と修道院で過ごしました。彼女はそこで裁縫を学ぶと、帽子専門店「シャネル・モード」を開店。帽子にとどまらず様々なファッションを提案していきます。





【あなたが私のことを好きか嫌いかなんてどっちでもいいわ。だって、私、自分のなりたい姿に近づくのに忙しいから。】



当時は喪服のみに使われていた黒い服を「リトル・ブラック・ドレス」としてファッションに取り入れ、最もシックでエレガンスな装いに仕立てました。他にも男性の下着に使われていたジャージー素材を女性の体にフィットする服やドレスにしたり、両手を解放させるためのショルダーバッグを生み出しました。上流階級の女性たちは、身に着けたきらびやかな宝石に自分の価値を見いだしていましたが、シャネルはこれにも反発。自分が広告塔となって誰でも気軽に着けられるイミテーションジュエリーを世に広めたのです。





【お金は、儲けるために夢中になるものではなく使うためにこそ夢中になるべき。】



プライベートでは、二度も愛する人に先立たれ、生涯結婚はしませんでしたが、常に女性としての美しさを追求し、愛される人でもありました。また彼女は莫大な財産を手に入れましたが、それを惜しみなく「人」に投資しました。若き天才を発掘して経済的な支援をしたり、芸術家たちが作品作りに没頭できるよう喜んでスポンサーになったのです。その中には友人でもあった、ピカソもいました。

メセナ(芸術文化支援)活動によって、シャネルは単なるファッションデザイナーの枠を超え、名声と地位を不動のものとしたのです。





【翼を持たずに生まれてきたのなら翼を生やすためにどんな障害も乗り越えなさい。】



52歳の時、結婚を考えていた人に先立たれ、精神的ストレスによる不眠、その後も従業員のストライキなどが立て続けに起こり、1939年にシャネルは香水とアクセサリーを売るお店だけを残して、すべてのお店を閉めてしまいます。ちょうど第2次世界大戦が勃発し、様々な理由からスイスへの亡命を余儀なくされ、15年もの間、完全に表舞台から姿を消しました。しかしシャネルの不屈の精神は、もう一度初めからやり直す決意と準備を進めていたのです。





【退屈していたの。それに気づくのに15年かかった。無よりも失敗を選ぶわ。】



シャネルが再びファッション界に登場したのは、70歳の時。決して順風満帆ではありませんでしたが、男性デザイナーたちが再び女性に高いヒールを履かせ、コルセットでウエストを締め付けるファッションが大手を振っているのを見て、彼女は奮い立ちました。すべての女性たちを解放するために。彼女は71歳で「シャネルスーツ」を発表し、再び頂点に上り詰めたのです。





【今もなお最も勇気のいる行動とは、自分の頭で考え続けること。そしてそれを声に出すこと。】



87歳でその生涯を閉じるまで、女性を肉体的、精神的「コルセット」から解放し、輝かせることに命を懸けたココ・シャネル。彼女は、働く女性の道を切り開いてきたパイオニアであり、「雇われない生き方」を選択した、女性たちのシンボルでもあるのです。

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